インタビュー

2026.04.20

  • 捜査官X
    ドニー・イエン×金城武共演!
    新作「捜査官X」を引っさげてピーター・チャン監督が来日

■作品紹介
「捜査官X」4月21日公開 

「孫文の義士団」のピーター・チャンが監督、ドニー・イエンと金城武共演。ある村にやって来たならず者2人。村の職人ジンシーらが必死に応戦する。翌朝2人は変死体となって発見され、、事件を捜査するため町から捜査官シュウがやってくる。ちょっと変人だが冷徹な頭脳をもつシュウは、入念な捜査から、正当防衛ではないと推理する。

 

ドニーがアクション監督だけなんてありえない

 

――最初は我々は、本作のドニー・イエンはアクション演出だけと聞いていました。なぜ出演することになったのでしょうか?

 

ピーター・チャン監督(以下ピーター)「この映画において、ドニー・イエンがアクション監督として関わるということは私にとっては何よりも大事なことでした。実は私は、今までアクション映画を撮るのは抵抗があったんですよ。私は文芸映画を専門としているから、もし2時間くらいのアクション映画を撮るとなると、おそらく半分くらいは他人に渡して撮ってもらうしかない。アクションってそれだけ専門性の高いものなんですね。これまでも撮ってはきましたが、アクション監督とコミュニケーションをとるのにとても時間がかかったし、結局編集していくうちにいつの間にかアクション映画より文芸映画になってしまったり。ところが「孫文の義士団」の時に、ドニーと一緒に仕事をして気がついたのは、彼はアクションだけでなく芝居に対する理解もあるし、考え方が近く気が合うということだったんです。そこで、本作も2人で一緒にやろうと決めて。そうなると、現実的に彼が主役でないとおかしいじゃないかと。彼みたいな大スターが、3カ月間も現場に来ているのにアクション監督だけしてるなんて、そんなことありえますか。観客もおそらく受け入れないし。今回の彼は武術の部分のパートナーとしても、一緒に作り上げたという関わり方ですね」

 

――店が強盗に襲われる冒頭のシーンは、あのドニー・イエンがおびえて隠れるという“映画史に残る”シーンになっていました。でも彼は実は強いというキャラクター。観客はいい意味で裏切られるわけですが、この二面性のあるキャラの構想はどこから生まれたんですか。

 

ピーター「あのシーンはストーリーの展開においてどうしてもそうならざるを得なかった。彼は本当はものすごく強い人なんだけど、裏事情があって、何年も逃げていてここで暮らしているわけですよね。もし彼が登場するなりいきなり闘うってことになると、もうこの映画は続かないんですよ。だからこうするしかない。もし彼がヒーローみたいに登場して闘って勝ってたら、たぶん金城武もいらないし、最初から“十二殺”組織とかが登場してハイ映画終わり、ってことになっちゃう(笑)」

 

――本作に関するドニーのインタビューによると、現場で衝突することがあってもたいてい監督の方が正しいから俺は折れる、と。それは本当なんですか(笑)?

 

ピーター「そういう話は毎度現場ではあるんです。アクション監督とだけではなくて、役者ともある。何度もリテイクしたりして。でもなぜそうせざるを得ないかというと、映画は一人で作るものじゃなくたくさんの人が関わるもので、たとえ脚本に書いていないことも現場に行けばやらざるを得ない、あるいは事前に考えてはいなかったように変わっていくことがあるわけです。そうなると、できるだけたくさんテイクを撮っておけば、編集のときにこれはよかった、これはよくなかったと決められる。これは、我々人間の人生と同じようなものなんです。生まれて幼稚園に行き学生になって社会に出て仕事して、その時は気がつかない。でも死ぬ時になれば、自分はこういう人生を歩んできたのか、これは正しかった正しくなかったと(気がつく)。映画と人生の大きく違うところは、映画は何度もたくさん撮ることができるが人生は1回しかできないことです」

 

狂言回しがいることで奥行きが出た

 

――もう一人の主役、金城武さんですが、狂言回しとしてのこの捜査官役に彼をキャスティングした一番大きな理由と、この捜査官を、天才的な洞察力もあるけどちょっと天然なおもしろキャラにした理由を教えてください。

 

ピーター「まず最初の質問に対しては、私はここ数年彼と一緒に仕事をしてきているので、脚本を手掛けているとつい彼を思い出しちゃうんですよね。わりと気が合うのかな。書きながら、この役は彼に会うんじゃないかと。彼は役作りに関してはわりとうるさくて、たくさん質問してくるんですよ。これはすごくいいこと。彼は僕の頭の中を全部しぼり出そうとするので、私も逆に刺激を受けてこの人物を掘り下げていくことができる。だから彼との協力は私にはすごく刺激的で、今回も彼を起用したわけです。なぜこういう天然キャラにしたかというと天才だから。よく言いますね、頭のいい人ほど偏屈だったり、怪しかったりおかしかったりするという。私にとってはその方が自然な感じがするんです」

 

――本作には従来の中国映画になかった謎解きミステリーの色があると思うのですが、そういった発想の源は? それを表すために、殺人シーンに捜査官を置いてみたり、巻き戻したりスローにしたり、捜査官の推理の内容を見せる手法がすごく面白かったですが、その発想も。 

 

ピーター「当初はこういった推理映画を撮りたいとは考えていなかったんです。最初は伝統的な武侠映画を撮ろうと思ってた。ある高名な武術家は何か理由があって逃げて引退していたが、ある事件があって復帰して追われて、っていう映画を撮ろうと思ってたんです。でも脚本を手掛けていた時、なんとなくこれじゃ物足りない。ここに狂言回しみたいな探偵の役を一人入れることで、もうちょっと奥行きが生まれて面白い展開になるんじゃないかと。冒頭の2人が殺される闘いのシーンで観客が見せられているのは、見たまま。でも金城の推理の中身のシーンでは、同じ闘いが全然違うものになっているんです。そのシーンを借りて、カンフーの強いところを、ここを突けばこうなるという力学を応用して説明してやれば、今までにないカンフー映画になるんじゃないかと。こういう手法を導入したことで金城の芝居の分量が増えたんです。だから前半はわりと推理映画になっていくんですね。でも後半になると(主人公は)殺人者だったんだとわかる。そうするとスリルの部分が増える。でもやっぱり(基本は)武侠映画なんで、武侠映画の終わり方にもっていかなきゃいけないと考えました」

 

――金城演じるシュウの丸メガネと帽子という衣装は、監督の指示されたものですか?

 

ピーター「僕が指定したというよりもみんなで話し合って決めたんです。この帽子は当時の中国では知識人を象徴する小道具なんです。チャイナ服もそうです。村に住んでいる人ではなくて町からやってきた教養のある人。村人とはまったく違う(ことを表している)。ひげに関しては、金城と今まで仕事をしてきて、私は彼のひげをわりと気に入っているんです。『ウォーロード 男たちの誓い』の中でも生やしていますし。それで決まったんですよ」

 

――ジミー・ウォングさんとクララ・ウェイさんという往年のカンフー・スターが出ているので、ファンにはたまらないと思うんですが、監督はなぜこの2人を?

 

ピーター「このキャスティングには最初から計算があったわけではなくて、このジミー・ウォングの役は、ある種の“悪漢”の力をもつ役者でないとなかなか難しい。というのは後半にだけ登場してドニー・イエンと闘わなきゃいけないんだから、存在感がないとダメだと。どうしたらいいか。ジミー・ウォングしかいないんじゃないかと(笑)。ドニーも僕もみんな彼のファンだったんですよ、『片腕ドラゴン』の。ある種の我々のアイコンのような。ジミーにオファーしてもやるかどうかわからなかったけど、実際にオファーしたらすごく喜んでました。でも彼が引き受けてから、じゃあもう一人の女性はどうしようと。こっちも闘わなきゃいけないし。僕らみんなショウ・ブラザーズの映画が大好きだったから、もしここにショウ・ブラザーズ映画に出ていた彼女が出てきたら、往年のアクション・スターが再度登場となる。それもいいんじゃないかなと、そういった流れで実現したんです」

 

――ラスト・バトルで片腕を封印してドニーがジミーと戦うのは、「片腕ドラゴン」へのオマージュなのかなと(笑)

 

ピーター「ええ」

 

大陸での成功は商品と作品のバランスをとること

 

――ところで、香港映画界の監督さんの中で、中国返還になってから後、大陸の映画界や映画人となじんできちんと大作を任されてやっていっているのは、ピーター監督のほかにあまりいらっしゃらないのではないかと思います。大陸で苦労しているところ、そしてなぜあなたは大陸映画でも成功できているのか、教えてください。

 

ピーター「僕だけが成功しているということはないと思いますよ。たぶん誰でも成功することができます、(香港映画の監督は)みんなすばらしい監督たちですので。ただ多少のやり方の違いはあるかもしれない。自分はプロデューサーも長年やってきたから、映画という芸術は何なのか、それはつまるところ商品だと思うんです。商品と、個人的な色彩の強い“作品”のバランスをどううまくとるかの問題だと思いますね。この問題にはたぶん誰でも直面することになる。ハリウッド映画を撮ろうが大陸映画を撮ろうが、全部この妥協を求められます。この妥協を、仕事のため、あるいは楽しみとしてやると考えればとても前向きになれる。これは苦痛だ邪魔だ、妨げだとマイナス思考で考えるとちょっと違うところへ行ってしまう。大事なのはたぶん、作品と商品との間のバランスをどううまくとるかだと思いますね。絵を描くとか作曲をするとかいう創作活動は一人でもできるわけですが、映画は最初から非常に高いコストがかかりいろんな人が関わる。資金も大きい。最初からこういった商業的な問題に直面するからこそ、いろんな制限を受けざるを得ない。でもこれを理解することができれば意外に楽しくできるもんです。大陸の観客が好むような映画を撮ることは、必ずしも自分の“創作”活動を犠牲にしてまでやらなきゃいけないということではない。作品と商品とのバランスをうまくとることができれば、ある意味百戦百勝に結びつくんですよ。私はわりと早い時期にそういうことを理解したんです。大陸で撮るのは確かにすごく制限がありますが、じゃあ香港やハリウッドではそういうのがないかというと違います、制限の内容は若干違いますが。制限そのものが権力だとか悪魔だとか思わなければ、意外に楽しくやれると思いますよ。私はラブコメとかヒューマン・ドラマの監督だとか言われますが、中国の市場に直面したとき、観客は今戦争映画が見たい、カンフー映画が見たいならそういうのを撮ればいいじゃないか(と思った)。戦争映画を撮るからといって、人間性のあるシーンを撮っちゃいけないわけではないですよね。そういったジャンルの作品中でも人間性の描写をすればいい。今はアクション映画が求められているとしたらそれは市場のニーズですから(撮る)。でもアクション映画を撮るならその中に、例えば善と悪、親子の情、そういったものを入れればいいんです。中国の市場で成功するには、必ずしも才能だけではなく自分の創作態度なんです。中国市場にどう向かっていくかということだと思います」

 

――新作で、今のニーズである3D大作を手掛ける予定はありますか?

 

ピーター「実はこの質問は2年前からずっと聞かれているんです。その時から答えているのは、3Dが悪いというわけじゃないがどの映画も3Dをやる必要はないということです。実は私はこれからの企画の中で3Dをやりますよ、でもそれはストーリー展開の中で3Dが必要だと判断したからです。でもこれからも、どの映画も3Dである必要はないと思いますね。そして中国の市場に関してはもうひとつ答えがあります。それは映画の“リターン”に関する話です。アメリカや日本では例えば入場料の収入が1ドルあるとすると、製作者にとっては別の収入が2ドルある。これはDVD化とかTVの放映権、あるいはグッズ化(からの収入)です。実は劇場以外の収入に頼る部分が大きいんですよね。ところが中国の市場ではこういう劇場以外の収入が今のところない。中国ではリターンの95%が興行成績によるものです。だから近年大きな製作規模の映画がどんどん作られるんです、大作だからとみんな劇場で見るから。でも例えばコメディだとみんな劇場へ行かない。DVDやTVやあるいはインターネットで見る。そしてその多くは海賊版なんですよ。仮に海賊版でなくてもその収入は微々たる物なので、大作が大事になってくるんです。この大作は映画館で見るしかないと思わせられ、しかも入場料も若干高く設定することができる。映画産業にとっても観客を映画館に呼び戻すひとつの手段になるかもしれない。だから映画によっては3Dにする必要があることもありますよね」



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