2025.12.16
リアル〜完全なる首長竜の日〜
黒沢清監督インタビュー
佐藤健×綾瀬はるかのダブル主演、若きカップルが時と空間を超え、“ある封印した事件”と向き合っていく壮大な物語「リアル〜完全なる首長竜の日〜」。第9回「このミステリーがすごい!」にて大賞を受賞した原作、乾緑郎の「完全なる首長竜の日」にチャレンジしたのは、“世界のクロサワ”として知られる黒沢清監督だ。たくさんの書籍を発表している理論派でもあるマスターが、みずからの映画術を語った。
| ■作品紹介
「リアル~完全なる首長竜の日~」 12月18日DVD&ブルーレイ発売(レンタル中/写真はブルーレイのスペシャル・エディション)
自殺を図り1年もの間こん睡状態にある漫画家、和淳美(綾瀬はるか)。彼女の幼馴染で恋人の藤田浩市(佐藤健)は、先端医療技術“センシング”によって、彼女の潜在意識に入り込むが、2人の過去に封印されていた真実が徐々に明かされていく。 |
“映画の嘘”の原理の不思議さ、おもしろさを感じた
――「リアル〜完全なる首長竜の日〜」は、これまでの黒沢清さんの監督作の中で最も多くのCG合成を使った映画になりましたね。発売されるBD&DVDのスペシャル・エディションにはVFXスーパーバイザー、浅野秀二さんとの対話が収められているとか。
黒沢清監督(以下黒沢)「そうなんです。『このシーンはああだった、こうだった』としゃべった、メイキング話が特典映像のひとつになっています」
――大学時代の後輩にあたり、元は自主映画作家でもあった浅野さんは「回路」(’00年)以来、黒沢さんの作品に必要不可欠な存在なわけですが、少しだけそのメイキング話、聞かせていただけますか?
黒沢「たとえばですね、すごくモメたというか、悩みに悩んだ要素として首長竜…プレシオサウルスの造形をどうするのかというのがあって。なかでも目、はちゅう類の目といってもヘビ、トカゲ、カメなどいろいろあり、一度は『人間の目にしたらどうか』って話にもなるくらい、決まらなかったんです。で、紛糾したまま八丈島ロケに行く途中、機内誌を読んでいて『あっ!』と思ったのがインドかタイの観光案内に載っていた象の子供の目。あとから八丈島にやって来た浅野にそれを提示し、『ちょっと見てみて、この目がいいんじゃないか』って。今度は帰りがけに、浅野がその機内誌を何冊か資料用に貰ってたらしいですけど(笑)。そういうわけで完成した首長竜の目は、その時の象の目なんです…と、撮影を振り返りながらそんなバカ話を真剣に、浅野とやってます」
――バカ話なんかではないですよ! そもそも黒沢監督は“特撮”にご興味は?
黒沢「あります。大好きですね。人生どこかで違っていたら、特撮専門家になっていたかも、と夢想することもあるほど。今、象の目の話をしましたけど、現実を基盤にしつつ、どうやって迫真のフィクションを構築するかが根源的な映画の醍醐味で、“特撮”ってそれを純粋に追求していく作業だからとても気持ちいいんです。しかも理屈ではなく、あくまで感覚的に、でもものすごくシビアに、どうやったら本物みたいに見えるかが勝負で。正直、この人物はこんなキャラクタ—で物語のテーマはこうだと脚本段階で考える煩わしさよりもずっと健全で、純粋に画面でリアリティを追求できるセクションで羨ましい」
――なんだか、脱監督宣言みたいな(笑)。
黒沢「いや、まあ、どっちもあっての映画だ、というのはわかってはいるんですけどね。しっかりした脚本と監督の存在は必須なんですが、隣の芝生は青く見える(笑)」
――撮影は全てデジタルでしたし、それだけ今回はVFXの比重が大きかったんですね。
黒沢「ええ。僕はどうも、人間ドラマの部分を踏まえつつ、VFXを使うのならば、その画面が物語や人物設定を踏み越えるような、それを確信をもっておもしろがってやっている映画が昔から好きなんですよね。最近で言ったらゴア・バービンスキー監督の作品で、『ローン・レンジャー』(’13)も楽しめました。物語にのっとって“人間を描く”ことは重要なんですが、それが映画の全てではない、と考えているところがあります」
――ちなみにかつて、実現しませんでしたが「水虎」という企画を進められていたことがありましたよね。
黒沢「ああ〜、あれはやりたかったですねえ。“水虎”と呼ばれる巨大化したワニガメの映画でした。水中からザバーっと上がってきて陸上でも人を襲い、追いかけ回す(笑)。20年以上も前に脚本家の高橋洋さんと考えました。巨大動物パニックのようなものを考えていたんですが、後にポン・ジュノ監督に『グエムル 漢江の怪物』(’06)で先にやられたときは悔しかった。今回の首長竜は“水虎”の直接の影響はないですけど、名残はありますね。10mくらいのモノが人間を襲ってきて、見上げたとき、ちょうどいい目線の高さになる…というのが映画の法則のひとつだと信じてまして(笑)。それが実現できました。あと、首長竜が水から現われ、全身からしたたり広がっていくあの水の表現はぜひ見ていただきたいですね。苦心しましたので」
――ストーリー的なことを言えば、浩市(佐藤健)という青年がいて、自殺未遂で昏睡状態に陥った恋人、淳美(綾瀬はるか)の脳内、意識下に最新医療の“センシング”を利用して入り込んでいくのが前半。これがまさに先ほどおっしゃられた「物語や人物設定を踏み越えるような」画面の連続でして。
黒沢「人の意識の中を描くわけですから、なんでもありですし、それこそワンカットごとに『本当にそうなのか?』ってクエスチョンが積み重なっていくような内容だったので、僕もいろいろ、ヘンなものをちょこちょこと配置し、今回は画面そのものに凝ることができました」
――つまりワンカットごとに遊べた、ということですよね。
黒沢「はい。さすがに全カットではないですけど。少なくとも前半、佐藤さんに関してはありふれたシーンはたぶんワンカットもないと思います。いつもどこか不穏な感じが漂っているようにしました。浩市はだんだんと“現実と仮想”の見境がつかなくなって混乱していくんですが、観客の皆さんにもそこに巻き込まれてもらおうと。でも映像にしたら見え方は、どちらもそんなに変わらないんです。理屈では『ここはインナーワールドで、こっちは現実』と分けられるんですが、観客は“映画の嘘”だと理解しつつ、目の前に映っている世界にひとつひとつ同化したり順応したりしながら、それこそ“リアル”に受け止めてくれるんですよね」
――映画を見る体験って、現実と似ているけれど、“別次元の世界である”と認識してもいて、その半覚醒状態が“リアル”なんですよね。
黒沢「そうなんですよ。意識下の物語を撮るのは初めてだったので、撮影前はけっこうドキドキしてたんですが、トライしてみて、あらためて“映画の嘘”の原理の不思議さ、おもしろさを感じました」
あの頃は、僕自身が“センシング”状態だった!
――原作では浩市と淳美は“弟と姉”の関係でしたが、これを変えた理由は?
黒沢「プロデューサー側からの要請もあったんですけど、若い男女のラブ・ストーリーにしたほうがわかりやすいエンターテインメントになると思いまして。構造自体が複雑ですからね。佐藤健さんと綾瀬はるかさんに演じていただけてよかったです。というのも、僕が若い男女を描くと、2人がいろんな困難を乗り切ろうとし、純愛って言うと恥ずかしいですけど…揺るぎなく愛を貫こうとする映画になってしまうんですね。それは僕の好みとしか言いようがないんですけど、佐藤さんと綾瀬さんがもともともっているピュアさに助けられました」
――一方、家族を描く際は、関係性がクールになりますよね。
黒沢「この映画にも少し、佐藤さんの母親役で小泉今日子さんが出てくるんですが、僕はああいうベタベタしてない、互いの人生を歩んでいるドライな関係が好きなんですよ。別に大ゲンカしたり、憎しみあっているわけではないんだけど、基本的に冷めている。自分としてはそのほうがリアリティを感じるんです」
――浩市と淳美の前には“センシング”を担当している国立先端医療センター精神科の医師たち(中谷美紀、堀部圭亮)がいるんですが、こちらはミステリアスな雰囲気で。
黒沢「とりたててマッドドクター風にしようとは思っていなかったんですけど、なんだか怪しい感じになってしまいましたね(笑)」
――観る側の先入観でちょっとマッドに見えるところもあるでしょうし。
黒沢「実際、あからさまにフィロソフィカル・ゾンビという、へんてこりんなものも出てきたりもするんですけど、原作にある設定なのでそのままいただいて。あれも見た目どういう造形にするのかとても迷ったんですが、試行錯誤の末に現在のフォルムになりました。おもしろかったのは海外で上映すると観客は、フィロソフィカル・ゾンビに対して爆笑していました。“哲学的なゾンビ”というネーミングがツボだったみたいです」
――黒沢監督の本格的なゾンビ映画も見てみたいですね。
黒沢「チャンスがあればぜひとも。ゾンビ映画はあまりにつくられ過ぎているので、オーソドックスなスタイルを守りつつどこまで新しさを付け加えられるか…なかなか落としどころを探すのは難しいと思いますけど。脱線になりますが、日本でやるなら日本ふうなゾンビにしたいなあと、昔から考えてまして。ま、詳細は隠しておきます(笑)」
――楽しみにしています! ところで乾緑郎さんの原作には、J・D・サリンジャーの影響が見られますね。
黒沢「乾さんの原作の英題は『A Perfect Day for Plesiosaur』なんですが、これはサリンジャーの『A Perfect Day for Bananafish』…邦題ですと『バナナフィッシュにうってつけの日』という短編のタイトルをもじったものです。別段、サリンジャーに詳しいわけではないのでちゃんとは言えませんけど、たしかそのサリンジャーの短編も、現実と夢とが反転するような内容の小説だったと記憶しています」
――サリンジャー要素は映画に、反映されてはいますか?
黒沢「本当にサリンジャーについては素人なのであまり言えないんですけど、サリンジャー的な要素はむしろ抜いていましたね。ただ、微妙に残っているのは、原作にあり、サリンジャーのほうにもあるんですが、映画にも突然ピストルが出てくるんですよ。そこはそれぞれ比べていただくと、おもしろいかもしれない」
――デジタルで全シーンを撮影されて、感じられたことは何でしょう。
黒沢「世界中の映画が抱えてしまった難問ですけど、100年以上かけて築き上げてきたフィルムの歴史を今、我々は捨てようとしている。デジタルに舵を切っても、新たな価値観、美的センスを獲得するには時間がずいぶんかかると思いますね、フィルムだって100年近くかけて構築してきたんですから。とにかく今回の『リアル〜』ではあまりフィルムっぽさにはこだわらず、デジタルが出せる“生々しいルック”に挑戦してみました」
――佐藤健さんは公開前、よくインタビューで「他の映画とはルールが違い、既成の決まり事から自由な作品」だと語られていたんですが、それに関しては?
黒沢「脚本に書いたものからそう逸脱した撮影はしていないんですが、やはり字面で見るのと、実際演じるのとでは違って、ワンシーンごとに浩市として、ご自分で何か新たな体験を実感されたのだろうと思います。僕自身もそうでしたからね。この手のトリッキーな、深層心理を扱ったジャンルの映画は何本かやるとコツがわかってくるのかもしれませんけど、本当に手探りでした。その分、楽しかったんですけど」
――自由な作品といえば、黒沢監督の、洞口依子さんが主演した「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(’85)を思い出しまして。部屋の中で洞口さんが意味もなく唐突に右足を軸にしてクルクルと回転しスカートをひるがえして、友人に「何やってんの?」と聞かれると、「くるって回る練習」と答える、自由すぎるすばらしいシーンがあります。あの頃から黒沢監督は“新しい映画のルール”をつくっていたのではないか、と!
黒沢「そのシーンはよく覚えてます。どうしてあんなことをやったのか…。あの頃は若かったからか、七面倒くさいことを考えず、それこそ“現実と非現実”なんてもって回った言い方もせず、『映画なんだから何をしたっていいんだ!』ってノリで、ワンカットごとにやりたいことをやっていました。おかげで『全くワケがわからない』と一時お蔵入りになったんですが…あの頃、僕はまさに今回の映画で言えば“センシング”状態だったんでしょうね(笑)。つまり“現実と仮想”の境がなく、はっと気づいたら手に拳銃をもっていても全然いいんだっていう、そんな考えの中で映画をつくっていました」
――なるほど。ただし“センシング”状態であり続けるのはキャリアを重ねていくと、だんだんと難しくなっていきますよね。それは世の巨匠や映画作家と呼ばれる人たちの作品を見てもそう思います。
黒沢「確かに。でも周りを見渡すと、どんなに年をとっても、常識的表現を『ひっくり返したい、踏み外したい、踏み超えたい』とあの手この手で挑むつくり手たちがまだまだいます。僕もできる限りそうありたいです。まあ、どうやったら無謀に『くるって回る』のを世間が許すようになるのか、『ドレミファ娘〜』の頃よりはもう少しずる賢くいろいろと、考えるようになってますけどね(笑)」
| ●プロフィール 1955年、兵庫県生まれ。立教大学時代から8mm映画を撮り始め、「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(’85)、「地獄の警備員」(’91)で熱狂的なファンを獲得。’92年、オリジナル脚本「カリスマ」(製作は’99年)がサンダンス・インスティチュート・スカラシップを受賞し渡米。’97年には傑作サイコ・ホラー「CURE 」がロッテルダム国際映画祭ほかで絶賛され、その名をワールドワイドに轟かせた。以後、カンヌで国際批評家連盟賞を受賞した「回路」(’00)、「アカルイミライ」(’02)、「LOFT ロフト」(’05)などを発表し、それぞれ国際映画祭に出品。「トウキョウソナタ」(’08)はカンヌにて「ある視点」部門審査員賞を受賞した。’12年は「贖罪」がベネチアとトロント、2つの国際映画祭でTVドラマとしては異例の公式上映を果たし、今年、第8回ローマ国際映画祭のコンペティション部門に選出された「Seventh Code」(2014年1月11日公開)は監督賞と技術貢献賞を受賞、日本の作品による同映画祭の受賞は今回が初となる。 |
©2013「リアル 完全なる首長竜の日」製作委員会
取材・文/轟夕起夫










