インタビュー

2025.09.02

  • 許されざる者
    李相日監督インタビュー


現代の名匠クリント・イーストウッド監督の、しかもアカデミー賞作品賞受賞作を日本でつくり直す!? そんな大胆な作戦に出たのが「フラガール」や「悪人」の李相日監督だ。
誰もが感じる疑問=なぜこの作品を?どうアレンジしたの?を本人にぶつけてみた!

 

■作品紹介

「許されざる者」
9月13日 丸の内ピカデリー他全国ロードショー
ワーナー・ブラザース製作・配給

 

明治維新期の北海道で、幕末に“人斬り十兵衛”といわれた男が剣を捨て、幼い子供たちを守って貧しい暮らしをしていた。そこへ昔の仲間が賞金首を一緒に狙おうという誘いを持ってやってくる。子供たちに食わせるため、男は二度と抜かないと妻と約束した剣を取る。

 

そろそろ時代モノをつくれるんじゃないかと思った

 

――「悪人」が終わった時から、次は時代モノを撮りたかったと発言されてますが?

 

李相日(以下李)「ジャンルとして残ってるのはそこかなって(笑)。新しいことを常にやりたいという想いがどっかにありまして。まあ今は『許されざる者』がやっと完成したところで、次は全く白紙なんですけど。でもなんででしょうね。なぜかと問われると、残ってたからとしか言えない(笑)。とはいえ(時代モノは)、日本映画の中のひとつの特殊性あるジャンルというか、衣装もセットも含めて、世界観を全部イチから作りこんでいくわけで。現代劇っていうのはロケーションも含めて今あるものに足していくんですけど、時代モノって全部イチからじゃないですか。そういう作業をしてみたかったんだと思うんですよね。『悪人』が終わってすぐに時代モノをやりたかったっていうよりかは、いずれ近いうちにやってみたかったジャンルだったんです。しかもそれをやるには、たぶん、美術のことも衣装のこともメイクのことも、ある程度理解できてからでないとやれないと思ってたんですが、今がいいタイミングだったというか、そろそろできるかもという気持ちはあったんですよね」

 

――本作は、そうやって時代モノをやりたいというところから発想された企画なんですか。

 

李「そうですね。時代モノをっていうのと、北海道を舞台にした開拓時代のものを、っていうのがほぼ同時くらいというか。時代モノだからと言ってもチャンバラメインというより、時代が動いている感じ(をやりたかった)。“時代劇”っていうより“時代モノ”ですね。開拓時代であればギリギリ刀もあるから、時代劇というジャンルの空気も少し残しつつ、時代の変化に巻き込まれていく人とそこからはみ出していく人がいたり、洋風っていう新しい価値観が入ってきたりとか、そういうある種のるつぼみたいなものを、映画の中に落とし込める。そういう世界観で、時代モノができるといいなと思ったんですよね」

 

――完成した作品は、すごく、今の日本に向けた映画になっていますね。

 

李「もともとそういうのが好きなんですよ、ホントに。一個人の力ではどうしようもない中で、それでもなんとか生きていくみたいな。そこまで大きい話じゃないですけど『フラガール』もそうですし、チェン・カイコーの『さらば、わが愛/覇王別姫』とかも大好きですし。(どうしようもない状況の)その中で、人がうごめく。すごくわかりやすく言うと、時代に翻弄されながら生きる人々みたいな(笑)。なぜかそこに惹かれるものがあって。そして、自分が日本を舞台にそういう枠の映画をやると思ったときに気になったのが、北海道だった。この100年200年の歴史で観ると(時代に翻弄されるのは)北海道か沖縄か。その後は太平洋戦争とかになってくるんでしょうけど、戦争モノはまだ自分には早いかなって(笑)」

 

――でも、ここまでの話からいきなりイーストウッドの「許されざる者」を製作するという発想に行くまでには、ジャンプがすごく大きくないですか?

 

李「そうですねえ。これからずっとこれを答えて行かないといかないのかな(笑)」

 

――もともと監督ご自身が(製作側に)持ち込まれた企画なんですよね。

 

李「そうですね、(僕が)言ったんですね~。実は最初は、今までの話のようなところまでは考えつつも、決定打というか映画の輪郭としてハッキリしたものが(まだ)なくて、ずっとモヤモヤしてたんですよね。舞台背景とか人物がうごめく感じとかは頭の中にありつつも、じゃあ何を芯として描く映画になればいいのか。しかも、ヒーローが悪役を倒すシンプルなチャンバラものじゃなくて、今の時代と繋がっているようなものは何だろうって。(それを)おぼろげながら考えていた時、理屈で詰める以前にポンと、『許されざる者』を観直してみようと思ったんですよ。(『許されざる者』は)DVDで何回か観てるんですけどずっと引っ掛かっていた作品ですが、もちろん観ていた時はこういう映画をやろうという意識ではなかったんです。ただ、今お話しした流れの中で観直したら、なんか自分の中でいろんな符合が、さっきの北海道の時代感とか舞台のモヤッとした器の中に、具がピッタリハマってしまったというかね。あの物語、あのキャラクター、あのテーマ性が、全部ひっくるめてこの器にぴったりハマったっていうか。そういう現象が起きちゃったんですね、自分の中で(笑)」

 

――「許されざる者」“みたいな”映画じゃなくて、「許されざる者」“そのもの”を撮ろうと思われたのは?

 

李「やっぱりその方が何かがクッキリしたんですよ。(というのは)開拓時代の北海道が舞台で爆発的にヒットしたマンガなり原作になる小説なりがあるかっていうと、ないでしょ。そして時代モノは当然お金もかかるから、今の日本映画界では映画の企画として成り立ちづらい。やりたいというだけじゃできないんです。そんな状況で、器の中身としてもピッタリハマる上に、『許されざる者』を日本映画化するって(言えば)、当然リスキーですけどだからこそ企画として立ち上がるかも知れないっていう考えもあったんです。であれば、思い切って行ってみるしかないっていう」

 

「悪人」でやり切れなかったことを別の形で

 

――でも、普通(日本映画化の)権利が取れると思わないですよね、アカデミー賞作品賞ですよ(笑)。

 

李「そうですよね~。でも『もう20年前(の作品)だしな~』ってプロデューサーと話をして。ダメモトで言ってみるか、みたいな感じでしたね」

 

石田雄治プロデューサー「やっぱり謙さんが(主演に)決まったのが大きかったですね。最初から、これをやるんだったら主演は謙さんだろうって(決めてた)」

 

李「たぶん『硫黄島からの手紙』もあるんだと思うんですよね。別に『硫黄島~』で謙さんとイーストウッドは関係ができてるからとかそういうことよりも、イーストウッド役を誰がやるんだってなったとき、『硫黄島~』を観てたせいか(彼と謙さんの)距離の近さが頭に入ってて、どうしても謙さんが浮かんじゃうんですよね。以前から一度はご一緒したいとも思ってたし。もし謙さんとご一緒できるのであれば、これまで謙さんがやられてる役柄や見え方とはちょっと異質なものでやりたいなと。そういう想いも今回の映画にはハマるというかね。ある種エネルギッシュな謙さんがそのエネルギーを全部空っぽにした状態、“空虚な眼をした渡辺謙”っていうのが見られるんじゃないかっていう。いつもの彼は、ギュッと(エネルギーが)詰まってますからね(笑)。あと、この作品の演技としては“抑える”方がよかったんですね。もちろん最後は(エネルギーが)やっぱり必要になりますよ、どうしたって。人を殺す人間のおぞましさみたいなものを出すには、謙さんの眼の“圧”が欲しい。ただ別の意味での“圧”もすごく持ってる方なんで、(最後までは)抑えるって言うのかな、煮詰めるというか、沸騰するまでずっと強くフタをしているような演技をしてもらいました」

 

――(企画の話の)最初、謙さんの反応はどうでしたか?「まさか」って感じじゃなかったですか?(笑)

 

李「最初にお会いしたときはホントに数枚のメモ書きしかない状態だったので、それをもとにお話をして説明で補足したりして。それからは早かったですね。まあ、あとで聞いたら、最初は『何てことを!』って思ったらしいですけど(笑)。でも、時代背景を含めて、オリジナルがこういうふうに変わっていくんだっていうことに『聞けば聞くほどノレた』って。『そこで迷いはなくなった』っておっしゃってましたね」

 

――本作は、オリジナル作の構成や骨組みには非常に忠実な仕上がりですよね。同じ構造を踏襲しながらも差異を出していくプランは、どこから思いついたんでしょうか。

 

李「比較的早い段階で、物語をそんなにいじる必要はないなと思って。『許されざる者』って、物語は当然大事ですけど、物語より大事なものがある気がしたんですね。それは何ですかって言われると言葉にするのが非常に難しいんですが。すごく抽象的になっちゃいますけど、“生き様”だったり“業”だったり、人の生きる有様みたいなものが、印象としては物語よりも強い映画だと思うんですね。だから物語をそんなに変えなくても、たとえ同じ物語でも、登場人物の見え方が違っていれば映画としてまったく違う見え方になるんじゃないか。かえってそのほうが違う作品として感じ取れるんじゃないか。同じストーリーなのになんでこんなに印象が違うんだろうっていう方が、自分が最初にやりたいと思ったことに近づけるというかね」

 

――直前の監督作品は「悪人」でしたが、あれは文字通り「悪人ってなんだろう?」って映画でしたよね。そのテーマを突き詰めて考えなければいけなかった前作の体験が、今回のテーマに繋がったということは?

 

李「『許されざる者』をやりたいと思ったことそのものも『悪人』があったからでしょうね。『悪人』をやってなかったら、そこまで大胆になれなかった気がするんです。どっかで通底したテーマがあるじゃないですか、善悪の割り切れなさとか。『悪人』では、個人個人の中にある、人間ひとりひとりの中にある善悪の不確かさがテーマだったんですけど、今回は、もう少し映画全体の世界観の中で、善と悪がこんなにも混濁してるという視点で作りたかった。でもそこに行き着くにはやっぱりベースとして『悪人』があったんです。『悪人』の時に感じたことであったりやり切れなかったことを含めて、また時代モノという別な形で出発できるっていうのは、『悪人』があったからだと思うんですよね」

 

――今回の作品は、今の日本の社会にパンチしているような感じがするんですが、監督ご自身の中で、この映画のテーマに直結するような社会的な事象や、怒りを向けていることはありますか?

 

李「たぶん今回の作品って、10年って経っても20年経ってもあんまり古びない気がしてるんです。それはオリジナルが20年経っても古びないのと同じように。結局世の中そんなに良くなってきてるわけじゃないですよね、どこかで同じことを繰り返してるっていうか。(イーストウッドの)オリジナルをリアルタイムで観た当時のアメリカの大人、40代、50代、60代の世代にとっては、リアルタイムで見聞きしたベトナム戦争とかがベースにあっただろうし。僕らの世代は僕らの世代で、そんなに常日頃からそんなものを意識してるわけじゃないですけど、湾岸戦争ではブッシュってヤツがいたなあとかは思う。日本では、地震があったときに今さらながら噴出してきて結論が出ない問題、でもそれにフタをしようとしてる問題もあったりして。だから、正しいことが正しく行われるなんてこの歳で信じてるわけじゃないけど、そういう正義っていうもののあやふやさは、見聞きしていくうちに蓄積されていくと思うんですよね。普段そんな話はしないですけど、どっかで『何かおかしいな』っていうことが、素通りしつつも振り返るといくつもあるわけで。そういう意味では、構造は変わってないんですよね、だからこの映画を今も作ることができるというか。極端な話、10年後だってありえる企画だと思うんですよね。10年後に世の中の暴力の構造が変わってるかというとたぶん大きくは変わってないんで、そういう意味での普遍性が、常にある映画なんだと思うんですよ」

 

●プロフィール

李相日

1974年新潟出身。日本映画学校卒業制作の「青~chong~」(’99)がぴあフィルムフェスティバルで4部門制覇。スカラシップ作「BORDER LINE」(’03)が注目される。’04年「69 sixty nine」の監督に抜てきされ「フラガール」(’06)で日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞。他に「スクラップ・ヘブン」(’05)、「悪人」(’10)。

 

©2013 Warner Entertainment Japan Inc.



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